無料 ポーカー ゲーム。THE D SoraKiは語る「ワクワクと好奇心でここまでこれた」
再生回数1億回超え。19歳で「世界一のストリートダンサー」となった無料 ポーカー ゲームさん。ダンスと音楽を愛し「楽しいし、好き」を原動力に描く未来
2003年生まれ、湘南育ちのストリートダンサー・無料 ポーカー ゲームさん。2022年、南アフリカで行われた「Redbull Dance Your Style 2022 World Final」で日本初の世界王者に輝いた。
ダイアナ・ロスの「I’m coming out」の音に乗せ、フロアを縦横無尽に踊り回る。その自由で本能的なダンスは、SNSで拡散され続け、総再生数は1億回を超えるほど注目を集めた。
SoraKiさんは2024年11月、「“みんな”ファミリーデー RECRUIT みんなのCO-EN フェス」にゲストとして登場。社員やその家族、友人、恋人など社内外を問わず「大切なひと」を招待したイベントで、“一夜限りのパフォーマンス”を披露し、会場を盛り上げた。
イベント前の取材、そしてステージ上で語った、4歳からダンスを続けられてきた理由と壮大な目標とは——。
“遊び”に行ったダンスバトル、一夜にして「世界的スター」に
2022年12月、南アフリカで行われた「Redbull Dance Your Style」。歴代のヒットソングに乗せたオールジャンルのダンスバトルで、観客が勝敗をジャッジするのが特徴だ。“世界一のストリートダンサー”を決めるその舞台に、19歳のSoraKiさんは立っていた。
準決勝でその名曲が流れた瞬間、SoraKiさんの身体は躍動した。音楽に合わせるというより、彼の身体の底から音が鳴っていた。自由で本能的、弾けるようなムーブメント、まるでダンスを心から「楽しい!」と叫んでいるような……。観客は次々と立ち上がり、歓声を上げ、誰もがひとりのダンサーの虜となっていた。
「南アフリカって人種に関係なく『すげえ!』って盛り上げてくれる空気感があって、超楽しかったっす。自分はそもそも売れてなかったから、遊びに行くみたいな感覚だったんですよね。だから、終わった後の反響は『なんかすげえな』って(笑)」
フロアの熱気、観客の興奮。準決勝でエネルギーを爆発させたSoraKiさんは、決勝の延長ラウンドを制して日本初の世界チャンピオンに。わずか1分の準決勝の動画は、InstagramやTikTokを通じて瞬く間に拡散され、一夜にして世界中の知るところとなった。
この日を境にSoraKiさんの人生は一変。メゾンブランドをはじめとする有名企業などのスポンサーがつき、世界各国をダンスバトルやイベントで駆け回るように。湘南で生まれ育ったストリートダンサーのもとには、今もなお世界中からさまざまなオファーが殺到し続けているという。
生まれたときから「ダンス」が身近にあった
SoraKiさんの人生は、常にダンスと共にあった。生まれたのは、4歳年上の姉がダンスコンテストに向かう途中の車の中。姉の影響で物心がつく頃には踊り始め、ヒップホップ好きの母のおかげで海外のさまざまな楽曲に触れた。
4歳の頃から都内のダンススタジオで本格的なレッスンを受けるようになり、小学1年生でダンスバトルに初出場。曰く「10年やってやっと芽が出る感じ」の世界でバトルで勝てない時期も続いたが、やめようと思ったことは一度もなかったという。
「踊るのは楽しいし、好きだから」——続ける理由はそれだけで十分だった。
「僕はワクワクと好奇心だけでここまでこれたと思ってて。勉強よりワクワクするから『お母さんお願い、ダンスさせて』と言って、毎日何時間も練習してました。『これやりたい!』という気持ちと目指すものがずっとあったから、気がつけば続けてこれたと思います」
また、湘南という独自のカルチャーが根付くまちで生まれ育ったことも、ダンサーとしてのアイデンティティに大きな影響を与えた。
藤沢を拠点とするヒップホップレーベル「DLiP RECORDS(ドリップ・レコード)」、サーファー、スケーター……地元のストリートカルチャーが、ダンサーとしてのSoraKiさんの血となり、肉となっていった。
「生まれたときからダンスとかヒップホップが身近にあったんですよね。地元湘南の先輩たちやその音楽だったりストリートカルチャーに影響を受けて、イベントに行ったり、スケボーやってる仲間と音楽流しながら踊ったり。かっこつけるためだけに生きてるみたいな姿が、かっこよかった。僕は音楽が好きなので、そこに対してアプローチしていくのがダンスだなって。いろんなアプローチがあると思うけれど、僕にはダンスがあっていたんだなって思います」
ダンサーの地位をアーティストと同等に引き上げたい
ダンスを本格的にはじめて15年後、世界王者となったSoraKiさんはファッションショーのランウェイを踊りながら歩いたり、ラッパーとコラボしたステージを披露したり、さまざまなカルチャーで横断的に活躍している。
その背景にあるのは、ダンスの可能性を広げて「ダンサーの地位を上げたい」との使命感だという。
「小学生の頃からアーティストのバックダンサーをいっぱいやってきたけれど、『おかしくね?この仕事』って思っていたんですよ。なんでメインじゃなくて『バック』なのって。例えば、ライブでバンドメンバーは紹介されても、ダンサーが紹介されることってほぼないじゃないですか。しかも、先輩たちから聞くと『これじゃあ食えないじゃん』って思うくらいギャランティも安い。ダンサーってこんな地位低いんだ…って思ったんですよ」
SoraKiさんが理想に掲げるのは、小学4年生から今に至るまで「ダンスの師」として仰ぐトップダンサーのYOSHIEさん。アンダーグラウンドシーンで数々のタイトルを獲得しながら、MISIAのライブに出演するなど、メジャーシーンでも存在感を放ってきた人物だ。
ストリートダンサーの新たな道を切り拓く。そんな師の背中を見て育ったSoraKiさんだからこそ、歪な関係性を変えたいという熱い野望を持つ。
「YOSHIEさんは共演するアーティストからちゃんとリスペクトされていて、ライブのステージでもちゃんと名前が紹介される。それってダンサーとしての地位が爆上がりするじゃないですか。僕はアーティストとダンサーは対等だと思っているし、それが理想的な関係だと思っています」
スーパーボウル・ハーフタイムショーという目標
SoraKiさんはこれまで、山下達郎さんの「SPARKLE」、星野源さんの「生命体」など有名アーティストたちのMVに出演を果たしてきた。どれもSoraKiさんのダンスにスポットを当てたもので、アーティストの楽曲の“背景”ではなく、互いの表現が共鳴し合うようなグルーヴを感じられる。
「正直、ダンサーの中では一番稼いでいるかも(笑)」と本人が言うほど多方面からのオファーが続いているが、その仕事の選び方にも自分なりのスタイルがあるのだという。
それは、「自分がワクワクして、カッコいいと思える仕事しか受けない」こと。
そのアーティストが自分にとってカッコいい存在かどうか、その仕事を心から楽しめるかどうか。相手が有名かどうかは関係なくて、ダンサーへのリスペクトを感じられなければ、大きな舞台や機会でも迷いなく断る。バックダンサーや振り付け担当だけではなく、ダンサーがフリースタイルを生業にして生きていけるような、そんな未来を見据えて踊っている。
最後に、SoraKiさんの当面の目標をたずねてみた。
「27歳までにスーパーボウルのハーフタイムショーに出ること!それも、アーティストのバックダンサーではなく、無料 ポーカー ゲームとして名を刻むつもりです。 例えば2022年だったらケンドリック・ラマー、エミネム、スヌープ・ドッグ……ヒップホップアーティストが一人ひとりパフォーマンスする時間があったじゃないですか。そこにダンサーがメインでステージに立つ時間があってもいいと思うんです。アーティストだけじゃなくて、ダンサーがひとりで踊る時間を持てるようになってほしいですね」
遊ぶように、踊りながら。SoraKiさんはカルチャーの境界線を軽やかに飛び越えてきた。
アーティストの「成功の証」とも言える舞台に立つことも、近い将来に実現してくれるかもしれない。
今回の参加者は普段パフォーマンスを見るような熱心なダンスファンではないからこそ、「これを機にダンスとか、ビートを作ること、ストリートカルチャーに興味を持ってくれたら嬉しい」と語った。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
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2003年、神奈川県生まれ。4歳からダンスを始め、バトルや振り付けなどダンス界で活躍するYOSHIEに師事。ヒップホップをはじめ多様なジャンルのダンスを経験し、世界中のダンスバトルで活躍。2022年12月に南アフリカで行われた「Redbull Dance Your Style 2022 World Final」で日本人で初めて優勝。 無料 ポーカー ゲームは、小学生の時に有名なフランス人ダンサーに名付けられた。