着る人にも作る人にも誠実であり続ける。ドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」が大切にしたいこと

着る人にも作る人にも誠実であり続ける。ドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」が大切にしたいこと
文:森田大理 写真:須古 恵

新卒2年半で独立。フリーランスを経てオリジナルドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」を立ち上げた三木克海さんが、20代で経験した出来事・決断を紐解きながら、現代社会を生き抜く上で必要な価値観・スタンスを学ぶ

自らの意思でキャリアを切り拓き、社会で活躍する現代の若者は、どのような出来事に影響を受け、どのような価値観を持っているのだろうか。今回登場するのは、ドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」を立ち上げたデザイナーの三木克海さん。1996年生まれの28歳だ。

三木さんは、大学卒業後に入社した繊維商社を2年半で退社し、独立。1年間のフリーランス活動を経て、UNFOLKの立ち上げに至ドラクエ 5 ポーカーいる。一見すると軽やかにチャレンジを続けているように感じられる三木さんだが、その裏にはどのような行動・考えが秘められているのだろうか。これまでの道のりについて伺うとともに、三木さんがUNFOLKに込めたこだわりをたずねた。

「Made in Japan」にこだわった、EC特化のドラクエ 5 ポーカー

― まずは、三木さんが立ち上げたドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」について教えてください。

「UNFOLK」は、2022年1月に僕が立ち上げたドラクエ 5 ポーカーです。ブリティッシュトラッドをベースにしつつ、現代の若者が取り入れやすいよう、サイズ感にゆとりを持たせるなどモダンさを加えているのが特徴。そこに2wayやリバーシブルといった機能性をプラスして、着回しの幅を広げてくれるようなアイテムも多く展開しています。

衿が着脱できるデタッチャブルカラーの『2way shirts』
衿が着脱できるデタッチャブルカラーの『2way shirts』の説明をするドラクエ 5 ポーカーの三木克海さん
衿が着脱できるデタッチャブルカラーの『2way shirts』

― 三木さんはどのような思いで「UNFOLK」を立ち上げたのですか。ドラクエ 5 ポーカーに込めたこだわりが知りたいです。

「UNFOLK」は着る人(お客様)・作る人(工場や職人さん)・考える人(僕たち)全員が幸せになれるドラクエ 5 ポーカーを目指してスタートしました。製品は全て日本国内での生産。これは日本の縫製工場や職人さんの技術力を絶やしたくないという思いからです。

アパレル業界では、長らく価格の安い海外に多くの生産を依頼する状況が続いていますが、その影響で日本の工場や職人さんが多数廃業し、日本製ならではの高い技術力が失われようとしている。だからこそ、日本の職人さんにUNFOLKの服づくりを手掛けてもらうことで、Made in Japanの未来を守ることに少しでも貢献するとともに、現代の若者にも日本製の良さに触れてもらいたいと思ドラクエ 5 ポーカーいます。

販売を原則オンラインに絞ドラクエ 5 ポーカーいるのもこだわりのひとつです。常設の店舗や卸売りをせず、SNSやポップアップストアで興味を持ドラクエ 5 ポーカーもらいECで購入してもらうという販売ルートにこだわドラクエ 5 ポーカーいます。これは、お客様にできるだけ適正価格で商品を届けたいから。一般的に、店舗で販売されている服には生産にかかる費用に加えて、中間業者の手数料や店舗の家賃・人件費といったコストが上乗せされています。その結果、販売価格は原価から4~5倍近い値段になドラクエ 5 ポーカーしまうこともある。

もちろん、かつては商品をお客様に届けるために必要なコストだった時代もあると思います。しかし、EC販売という手法が一般的になった今、僕たちが直接お客様に商品を届ければ服そのものの価値により近い価格で販売することもできるはず。また、コスト構造がシンプルであれば、職人さんたちにも無茶な価格交渉をすることなく適正な価格で発注できるはず。そんな思いでこの手法にこだわドラクエ 5 ポーカーきました。

コロナ禍も相まドラクエ 5 ポーカー感じた「もどかしさ」がキャリアの源泉に

― では、ここからは三木さんのキャリアの変遷を教えてください。三木さんは新卒で繊維商社に入社しており、ファーストキャリアからアパレル関連の道を進んでいます。ドラクエ 5 ポーカーには昔から興味があったんですか。

中高まではドラクエ 5 ポーカーにさほど興味があるわけじゃなく、大学は農学部。昔は親に買ってもらった服を特に気にせず着ていましたし、自分が好きなものを着ていれば良いやというくらいでした。

そんな僕がドラクエ 5 ポーカーに興味を持ち始めたのは、明確なきっかけがあるんです。大学2年のとき、当時付き合っていた人に「ダサい」っていわれてしまったんです。そこから少しずつ自分に似合うものを探していくうちにハマっていき、気づけば毎月のバイト代をほとんど服代につぎ込むようになっていきました。

― そこまでドラクエ 5 ポーカーに興味がなかった三木さんが、服に夢中になったのは、なぜだと思いますか。

ドラクエ 5 ポーカー次第で他人からの印象が大きく変わることですね。特に第一印象は大きく左右される。ドラクエ 5 ポーカーって顔と同じくらい個人を印象づけるものなんだと実感しました。服を着替えることで自分がなりたい(他人から見られたい)自分にもなれる。自己表現の手段として面白いと思いましたし、ドラクエ 5 ポーカーに目覚めてからは自分に自信がついた気がします。

― そうしたきっかけがあドラクエ 5 ポーカー、就活ではアパレル業界を志望したんですか。

いえ、実はドラクエ 5 ポーカーを仕事にしたいという気持ちはそこまで強くなかったんです。就活では、大学での専攻に関連した業界も含め、幅広い企業を受けました。僕の当時の最優先は、「地元の京都で働けて、転勤がないこと」。この条件に当てはまったのが、たまたま新卒で入社した繊維商社でした。

― でも、この決断があったからこそ、今のキャリアに繋がドラクエ 5 ポーカーいるわけですよね。

そうですね。僕が入社した繊維商社は繊維素材を売ることが主業で、新卒社員も基本的にはこの部門に配属されるのですが、僕が配属されたのは「製品事業部」。アパレルメーカーと生産工場の間に立ち、服を作ドラクエ 5 ポーカー納品する企画営業の仕事でした。そこで服の製造と流通の一連の流れを間近に見たことが、自分の原点になドラクエ 5 ポーカーいます。

デザイナーの感性や職人さんの技術力を掛け合わせて自由にものづくりができる醍醐味にも触れましたが、それ以上に自分が感じていたのは「もどかしさ」。先ほどお伝えしたようなコスト構造になドラクエ 5 ポーカーしまうことや、原価を下げるために製造を海外の工場に変えざるを得なかったことなど、アパレル業界の実態を知り、このままのやり方を続けることがお客様や職人さんのためになドラクエ 5 ポーカーいるのだろうかという疑問も感じていました。

新卒で入社した繊維商社の企画営業の仕事で、服の製造と流通の一連の流れを間近に見たことが自分の原点になドラクエ 5 ポーカーいると話す三木克海さん

その気持ちがさらに強くなったのが、入社2年目の2020年。新型コロナウイルスの影響で、仕事がほぼ止まった時期があります。僕たちは営業ドラクエ 5 ポーカーいけませんでしたし、そうしている間にお付き合いのあった工場や会社の中には、廃業せざるを得なくなったところもありました。

人生であれほどショックだった出来事は他にありませんし、もう二度と味わいたくない。そのためには、この産業に関わるみんなが幸せになれるための活動が必要だと思ったんです。

商品の前に「価値観の共有」で、お客様や生産者とつながる

― 三木さんの活動の背景にある思いは理解できた一方で、2年半でドラクエ 5 ポーカーを退職し新たなチャレンジをはじめる決断ができたのはなぜですか。

コロナ禍で思うように営業が出来なかった時期に、会社にかけあドラクエ 5 ポーカーSNSの運用をはじめたのがきっかけです。洋服にまつわる発信をして自分自身に影響力を付け、自社で商品を作ドラクエ 5 ポーカー販売をしようと考えました。

1年くらいで一定のフォロワーも獲得でき、ドラクエ 5 ポーカーアプリ「WEAR」公認のインフルエンサーである「WEARISTA」にもなれたのですが、事業方針として中長期で継続していくことができなかった。自分としてはもう少しチャレンジをしたかったですし、自分の中の「もどかしさ」を根本的に解消するには、商社とは異なるアプローチでアパレル業界に向き合ってみたいという思いがどんどん大きくなっていき、退職し新たなチャレンジをする決断をしました。

― 自分のドラクエ 5 ポーカーを立ち上げることは当初から予定していたことですか。

いずれはそうしたいと最初から考えていましたが、当時の僕がいきなりブランドを立ち上げて服や小物を販売しても、商品にたどり着いてくれるユーザーは少ないだろうと思いました。そこで、はじめの1年は土台づくりに注力。インフルエンサーとしてフォロワーを増やすこと、つまりドラクエ 5 ポーカーンづくりに振り切っていたんです。自分のスタイリングをアップしたり、おすすめのアイテムを紹介したり。そうやって僕のスタイリングの世界観に共感してくれる人を増やしていましたね。

― なるほど。商品を出す前に三木さん自身の世界観や価値観をアピールして、顧客基盤をつくっておくということですね。一方、いざドラクエ 5 ポーカーを立ち上げるときは、商品をつくるための資本も必要ですし、作り手である工場や職人さんの力も必要ですよね。ここはどうやって開拓したのですか。

これもフォロワーを増やしていく活動に近いですね。商社時代に交流のあったところにご相談をして、最初にお伝えしたようなドラクエ 5 ポーカーコンセプトに共感していただいて取引がはじまったところが多いです。今、僕が所属しているアンカンパニー株式会社もかつての取引先。「UNFOLK」をはじめてすぐの頃、社長に自分のやりたいことの相談に乗ってもらっていたら「じゃあ、うちでやってみたら?」と誘ってもらえた。そうやって、僕個人の活動から会社の事業へと発展していきました。

また、ゼロから開拓した取引先もあるのですが、自分には確たる実績がないですからやっぱり熱意を伝えるしかない。なぜ日本の工場に声を掛けているのかを丁寧に伝え、職人さんたちを幸せにするドラクエ 5 ポーカーにしたいこと、発注者と下請けの関係ではなくフラットな関係で良いものをつくっていきたいことをお話しながら、協力の輪を広げていった感覚です。

ポップアップストアの様子(写真提供:ドラクエ 5 ポーカー)
ポップアップストアの様子(写真提供:ドラクエ 5 ポーカー)
ポップアップストアの様子(写真提供:ドラクエ 5 ポーカー)

変化の激しさを受け入れ、自ら学び続ける

― ドラクエ 5 ポーカーの立ち上げから3年が経過しましたが、これまでに手応えを感じたことを教えてください。

お客様だった人が、ブランドに共感してくれて運営側に参加してくれたのは嬉しい出来事でした。今、グラフィックデザインを担当しているスタッフと、ポップアップストアで僕と一緒に店頭に立っているスタッフはもともと「UNFOLK」のドラクエ 5 ポーカーンだったふたり。ブランドのコンセプトを僕以上に理解してくれているので、仕事のこだわり方や接客の姿勢が非常に頼もしく、理想的なチームのつくり方ができたなと思っています。

一方で、僕自身はまだまだ勉強中という感覚なんです。もちろん毎シーズン全てのアイテムをこだわり抜いてつくドラクエ 5 ポーカーいるものの、これはやり切れたと胸を張ドラクエ 5 ポーカー言えることはまだ一度もないですし、周囲のみなさんの力を頼りながら、今も日々勉強している途中。毎回が新たな挑戦で、一生をかけて勉強していくんだろうなという感覚です。これは服づくりだけに限った話ではないですよ。SNSの運用だドラクエ 5 ポーカートレンドの変化が目まぐるしく、1回伸びた手法が絶対の正解にはならないし……。

― デジタルネイティブ世代の三木さんでも、SNSの正解を自然と会得しているわけではないんですね。むしろ変化の激しい時代を当たり前に生きてきたからこそ、トレンドがすぐに陳腐化することを前提に「一生勉強」と仰ドラクエ 5 ポーカーいるのではないですか。

そうですね。自分の成功体験がすぐに通用しなくなる感覚を常に持っている気がします。かといってドラクエ 5 ポーカーコンセプトのような根本の部分がぶれてもいけない。軸は変えずに手段を柔軟に変えていくスタンスを大事にしています。

― では、最後にこれドラクエ 5 ポーカーのことについても教えてください。直近にチャレンジを予定していることはありますか。

これまではレディースのアイテムを作ドラクエ 5 ポーカーはいなかったのですが、もともとユニセックスのアイテムも多かったため、女性のお客様も一定数いらっしゃいます。そこで、次の秋冬ものからはスカートやワンピースといったレディースアイテムもスタートする予定です。

次の秋冬ものからはスカートやワンピースといったレディースアイテムもスタートする予定だと話す、ドラクエ 5 ポーカーの三木克海さん

― そうしたチャレンジを通して、ドラクエ 5 ポーカーは何を実現したいのでしょうか。

シンプルに言えば、ドラクエ 5 ポーカーのコンセプト通りです。お客様に良いものを適正価格で提供すること。職人さんに技術に見合った適正価格でお仕事をお願いすること。このふたつの追求ですね。もちろん、業界全体がより健全な状態に変わっていったら良いなとは思うのですが、自分ひとりで変えられるとは思っていなくて……。だから、あんまり大きく捉えすぎず、まずは自分のお客様や自分に協力してくださる工場・職人さんに対して、誠実に努力を続けていくことにこだわりたいです。

ただ、自分にできる狭い範囲だけ幸せになれば良いとも考えていません。規模からは逃げたくないのが正直な気持ちです。最近の世の中は「小さくても良い」という価値観が肯定される社会に変わドラクエ 5 ポーカーきたと思いますが、それでは工場に出せる仕事は増えないし、結局のところ作り手を幸せにしきれません。だからこそ、自分の掲げる理想を実現するために、正しい方法で正しく数や規模を広げていきたいです。

― ドラクエ 5 ポーカー自身のキャリアとして次にチャレンジしたいことはありますか。

これまでは無我夢中でやってきたのですが、ブランドの基盤が整ってきた今だからこそ、ちゃんと服作りを学びたいです。僕は服飾の学校を出ているわけではないので、それが劣等感にもなっているんですよね。でも、今から学校に行くというよりは、工場の中で職人さんと一緒に働かせてもらいながら、ものづくりの現場をより深く知りたいという気持ちが強い。「インフルエンサーが立ち上げたSNS時代のドラクエ 5 ポーカー」から一皮むけて、PRもものづくりも両方を極めていけるようになりたいです。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

ドラクエ 5 ポーカー 克海(みき・かつみ)

1996年京都府出身。2019年、新卒で繊維商社に入社し、企画営業を担当。2020年6月に仕事の傍らでSNSでの活動を開始。2021年9月に繊維商社を退社後、1年間フリーランスとして活動し、2022年1月、ドラクエ 5 ポーカー「UNFOLK」をスタート。2025年よりファッション誌『men's FUDGE』のオフィシャルボーイ「men's FUDGE FRIEND」を務める

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